公開日:2024-10-25 最終更新日:2024-10-25

【座談会】子どもの居場所は、親にとってもよりどころ。双葉郡で子どもの居場所づくりをする仲間で集まりました(前編)

ふくしまこども食堂ネットワークと一緒に、私たちいわき・双葉の子育て応援コミュニティcotohana(以下、コトハナ)が実施した「双葉郡における子育てに関する調査」。その調査の過程や結果から、生活環境のリアルな姿やここでの暮らしへの思いや課題が見えてきています。

調査をまとめてみたら、人とのつながりや暮らしの満足度など可視化されたことがある一方で、一人ひとりの声が見えにくくなってしまった側面も。そこで、コトハナでは調査結果を振り返る座談会を実施することにしました。

【第1回座談会】調査チームでの振り返り 前編後編

今回は2回目の座談会。集まっていただいたのは、実際に双葉郡で子育てをするみなさんです。その中でも、こども食堂など、子どもの居場所づくりに取り組むメンバーに集まってもらいました。その座談会の様子を、前編・後編の2本の記事でお届けします。

まずは自己紹介でアイスブレイク

双葉郡内で近しい思いを持ち活動をするみなさんですが、今日が初めましての出会いという方も。アイスブレイクも兼ねた自己紹介から、座談会はスタートです。名前や出身地、今やっている活動について、少し緊張しながらも、話し始めてしまえばスルスルみなさん言葉がでてきていました。

●佐々木愛菜さん

浪江町出身、富岡町在住。コトハナの一員として、現在は「とみおかこども食堂」の運営スタッフとして活動中。

●吉田めぐみさん

郡山市出身、浪江町在住。東日本大震災後、県外への避難を複数回経験。その後、福島へ戻り県内を転々とし、まちづくりの仕事に関わりたく、浪江町へ。こども食堂など、子どもの居場所づくりを浪江で行うが、三男の出産を機に活動はお休み中。再開に向けての準備をしている。

●日野涼音さん

山形県出身、楢葉町在住。学生時代にインターンシップで楢葉町へ来たことがきっかけとなり、移住。「ならはこどものあそびば」という活動をひらいている。

●村上千種さん

広野町出身、広野町在住。東日本大震災後、関東へ避難し生活を続けていたが、コロナ禍中に地元へ戻る。こども園で栄養士として働きながら、こども食堂の実施や消防士による救急応急処置の手当講習など、イベント形式で地域活動を行っている。

●横山和毅さん(ファシリテーター)

神奈川県出身、いわき市在住。普段は福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校を中心に中高生の関心を起点としたプロジェクト型学習(=マイプロジェクト)に伴走するかたちで活動。認定ワークショップデザイナー資格をもち、ファシリテーターとして今回の座談会に参加。

自己紹介は6マス自己紹介という方法で行われました。その名の通り、6つの質問の答えを各マスに記入してひとつずつ話します。なかでも「こどもエピソード」のテーマは盛り上がり、共感することもお互い多く、緊張も自然とほぐれていったよう。和気あいあいとした空気のまま、いざ本題へ突入です。

活動のはじまりはそれぞれに。共通する「地域で一緒に」という想い

今回の調査で、双葉郡には子育て支援にまつわる資源が不足しているということ、だからこそ地域における「つながり」が子育て当事者にとっての安心感につながるということをコトハナでは考えました。情報へのアクセス、孤立感や子育てに対する不安の解消、そうしたことのきっかけになるコミュニティをつくる動きについて、あれこれ話すのが今回の座談会のテーマです。

今はコミュニティを運営(サポート)するみなさんですが、始めの一歩はどんなところにあったのでしょうか。

村上さん「私は、避難先から戻ってきた時に『寂しさ』を感じたことが今の活動につながっています。実家には帰れたけれど、私は仕事場、子どもたちは学校との往復だけの日々で……。おじいちゃんやおばあちゃんが多い地域なので、子ども同士で集まって遊ぶような姿もあんまり見かけられず、お互いがお互いを知らないまま。集まる場所も、子供会のような集まる機会もなくなってしまいました。昔は、〇〇さんの子ども、孫、みたいな距離感だったのに、いつの間にか疎遠になってしまっていて、ちょっと寂しいなって。

私は父と一緒に空手教室をやっているのですが、そこに来てくださっている保護者の方に感じていることを話してみたら、子どもが集まれるような機会をつくってみる?という話になったんです。今は、こども食堂として活動していますが、最初はわが家の畑で農業を教えるような会から始まりました」

日野さん「始めたきっかけ……なんだろう、要素はたくさんあるんです。まず、私が楢葉町と子どもが好きということ。楢葉町は、一度避難指示が出ている地域だから、住んでいる人たちは強い想いや理由があって戻ってきたり、移住したりした人ばかり。私は、そういう人たちの言葉に惹かれて、ここに住み始めました。インターンシップをきっかけに、ここに住んで4年目になるんですけど、今の活動を始めるまでは子どもたちやその保護者の方とのつながりはなかったんですよね。みんなどこで遊んでるんだろう、公園みたいに遊びにいけるような場所があったらいいなと思ってて。

自分の関心領域であるアートと組み合わせた居場所をつくりたいと考えて始めたのが『ならはこどものあそびば』です。私がこの町で出会った人々のように、自分の想いを語れる子どもたちが増えたらいいなと願いながら活動しています」

横山さん「地域活動をしていると、課題を解決することが目的だと見られがちな気がします。でも、やりたいと思っていたことをやろうと思ったら、結果それが課題解決にもつながっていた、みたいなのは日野さんの活動の特徴ですね。なんかいいなと思いました。では、吉田さんはいかがですか?」

吉田さん「私は避難先で交流団体で活動した経験から、浪江町でこども食堂を立ち上げようって思いました。関西の方に母子で避難をしていたのですが、福島県からの避難者はかなり少なく、このままでは孤立してしまうと思って、当時住んでいたところの市役所などに相談したんです。

担当してくださった職員さんや子育てNPOの方などが親身になってくれて、共感して仲間になってくれた方と一緒に地域交流団体を立ち上げました。そこで、地元の人や移住をしてきた人、みんなで一緒に料理をして食事をする交流をしたのですが、自然と仲良くなれたんです。なにかをしながら集まるっていうのが良かったんですよね。その団体は福島から保養受け入れの要請も行っていて、私にとって今も大事な存在です。

福島県内に戻ってきてからも、こども食堂に行くことで社会とのつながりがちょっとずつ増えていったし、運営に参加することでつながりはさらに広がり、助けられてきました。自分やわが子も良くなるために、周りと一緒に良くなりたいっていう場所としてこども食堂を利用していたんです。浪江にはなくて、じゃあ必要だなっていうところで始めた感じ。第三子の出産を機に活動をお休みしたのですが、再開を意識しながら日々過ごしています」

横山さん「村上さんのお話にも通ずるところがありますが、つながる場がなかったことがスタートラインなんですね。そういう場があることの良さを知っているからこそ、ないことに気づいたらつくるというか。最後、佐々木さんお願いします」

佐々木さん「私は震災後約10年間、いわき市にずっと避難していて、(富岡町)戻るってなった時にまず、長男が1歳半ぐらいからお世話になっている保健師さんに相談をしました。双葉郡が地元とはいえ、震災で状況がずいぶんと変わっていたので。富岡町の保健師さんに引き継ぎをしていただいた時に、コトハナのことを教えてもらったんです。

代表のみなみちゃんの娘さんは長男と同学年で、他のコトハナスタッフの方もほとんど全員子育て世代。震災で一度、何もなくなったところで子育てのコミュニティを立ち上げていってるのも、それをやっているのが現地に暮らすお母さんたちっていうのも、すごいなって思って。

私は一人で何かを始めるっていうのはできないと思うけれど、同じ地域に住む子育て世帯として、私にも何かできることがあるんじゃないかなって思ったのが、コトハナに参加するようになったきっかけです。こども食堂の前段となる活動で、食料配布するものを並べたのが一番最初のお手伝いだったかな」

横山さん「今回の調査結果にも、関わりたいと思っている人が実は結構いるような結果が出ていました。村上さんのように自分で始めてみたいという人もいれば、佐々木さんのようにすでにある場所に混ざるようなかたちで始めることを望む人もいそうです。みなさんのお話を聞いて、関わりのグラデーションが確かにあることを感じました」

自分が感じる足りないものを、地域の中で補えないだろうか。そんな問いが生まれたときに、地域の中に関わりを見出そうとするみなさんには、それぞれの原体験が影響しているようにも思えました。

それぞれ歩みを始めた活動とみなさんの関わり。後編では、実際にやってみた感想や、活動にまつわる困りごとの話をお届けします。

【後編】はこちらから

取材・文 蒔田志保

撮影 コトハナ編集部

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